ジュリーーー、ヒットメドレー12曲

あぁ・・・・ジュリー、かっっっこいい・・。たまぁに急に聴きたくなる、見たくなる。

見つけた動画はリクエスト埋め込み無効。

http://www.youtube.com/watch?v=YpX8WDoRmJc&feature=related

ちづるちゃん、どうよ?カラオケ行こうぜ。

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【ファミリー・ツリー】映画

ほんとにウォーキングにはもってこいの季節である。川面をなぜて冷気を含んだ夜風がほてった身体を心地よくすり抜けていく。雨天や外出する時以外は、ほぼ毎晩約五キロを50分から一時間かけて歩く。1,2月の寒い時期、休んでいたツケでウエストに付き始めていたお肉は、すっかりそぎ落ち気持ち良い。週1回通うヨガスタジオも雰囲気に慣れ楽しい。

そのおかげなのか、この冬は一度も風邪をひかなかった。持病の逆流性食道炎もなりを潜めている。いい事尽くめだ・・・継続は力。楽しみながら頑張ろう。

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で、今日は映画【ファミリー・ツリー】を観てきた。(ネタばれ有り)
『アバウトシュミット』や『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペイ監督。

ハワイのオアフ島に住む弁護士マッド・キング(ジョージ・クルーニー)は、妻と娘二人がいる。ある日、妻エリザベスがボート事故で意識不明のこん睡状態になってしまう。10歳の次女は動揺から反抗的になり、学校の寄宿舎にいる長女も生活が荒れている。そんな時に、マッドは長女から実は妻が浮気をしていたと知らされショックを受ける・・・・。

複雑に絡まりこんがらがった感情、家族は破綻寸前。けれど、物語が進むにつれて少しずつ、じれったいほど少しずつ、もつれた絆がゆるりと解れていき再び結ばれていく。
まさかの妻の浮気にうろたえ、怒り、呆然とする等身大の父親をちょっとコミカルに自然体で演じるジョージ・クルーニーが良かった。浮気相手を探し出し、問い詰める内にいろんな事があからさまになり妻への感情が怒りとはまったく違う感情へと移りゆくところを、とても繊細にじっくりと描いていたなぁと思う。父親と共に、娘達も内省しながら変化していく。
ともすると、じっとりとなりがちなテーマをほんわかハワイアン音楽とほど良いユーモアとセンスで深刻さを失わずにサラリと見せるのが良い。

意識もなく誰彼から散々罵倒され、なんの言い訳も出来ないエリザベスだけれど、周りの人間の感情が変化することによって、彼女に対して慈悲の念を感じてしまう。。。それぞれが胸中に渦巻く思いを咀嚼し受容していく。エリザベスの父親が彼女の髪を優しく撫ぜるところをドアの隙間からマッドと娘たちが覗き見るシーンが印象的だった。エリザベスが終焉を迎え見送った後、穏やかさを取り戻したマッドと娘達がソファーでTVを見ているラストシーン、三人の膝をくるんで暖めている布は、病室のエリザベスを優しく覆っていたカバーだった。もしかしたら、彼女のお手製かもしれない。心地の良い余韻が胸に沁みるラストだった。

・・・・・・・なんか、支離滅裂な文章になっちまったけど。こんな感じ・・・だった。

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【別離】映画

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今まで中東の映画を見ても、信仰や戒律それに伴う社会情勢などが実際にピンとこなくて、漠然とした理解しかできず、一歩引いたところでの感想しか沸いてこなかった。ところが、この【別離】はドスンッとストレートに落ちてきた。
イランというと、なんだか複雑で社会的にも難しく危険でキナ臭い・・。そんなイメージの中でも、あたりまえに日常的な営みがあり、人々が抱えている問題は身近な私たちと根本的に変わりがないという事をリアルに描いている。オープニングの離婚調停のシーンからの緊張感は、最後まで途絶えることはなかった。

単なる夫婦の離婚話ではないだろうとは予想していたけれど、予想を上回る内容の濃い心理サスペンスかつ人間ドラマで舌を巻く見応えだった。アスガー・ファルハディ監督の細やかな脚本と見事な演出の賜物。世界中で絶賛されたのには至極納得させられる。

テヘランに住むシミンとナデルは、11歳になる娘とアルツハイマー病の父親と4人家族。娘の将来を考え国外に移住しようとする妻シミンに対し、夫ナデルは病気の父を残してはいけないと意見が対立。夫婦は離婚の危機に立つ。妻が家から出て行ったので、ナデルは家事と父の介護の為に南部に住む貧しい家庭の主婦ラジエーを雇う。ある日、娘とナデルがアパートに帰ってみるとラジエーは居ず、ベッドに腕を縛られた父親が瀕死の状態で倒れていた・・・・・。事態はそこから思わぬ方向へと動き始める・・・。

物語の随所に調停所でそれぞれが審議されるシーンがある。その度に見ている側も問題を自分に置き換えて考えさせられてしまう。けれど、問題は善悪で割り切れるものでもなく、複雑に絡み合い容易に結論は出せない。中盤からは上級サスペンスの様相を呈し画面に織り込まれた巧みな伏線に、はたと気づかされる時、ちょっとした快感さえ覚える。後から思えば、論争の焦点、事実を目の当たりにしているはずの父親が問題発生から一言も発しなくなるところも上手い。
深層心理を浮き彫りにする印象的な台詞も多い。母親の車で家を出て行く娘にかけたナデルの言葉「パパが間違っていると思うのならラジエーに示談金を払うからママを連れて来い」も、その直後の娘の選択でいろんな気持ちが解り印象に残る中の一つだった。娘や子どもに答えを求めるシーンが結構辛い。

アスガー・ファルハディ監督の前作【彼女が消えた浜辺】、心理劇には長けていたと思ったけれど皆がいうほど面白いと感じなかったので、今回初めてこの監督が評価される所以を理解できた感じだった。

ところで、あの盗られたお金ってどうなったんだろう・・・・。

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朱夏半ばにしてJAZZを聴く

いろんな事を手の届く範囲に積み上げて、そのまま思いにふけっている間に、時はずんずんと私を追い越して過ぎていく。刺激を受けた様々なものをもぐもぐ食べて取り込んで・・・。そして、また思い巡らして・・・、気が付くと、なぁんにも目に見えるかたちとしては残していない。

‘記録’は大事だと思う。五感にびんびん響いたこと、考えたこと、何かをしたことの結果etc・・書き留めておかなければ、ぽろぽろ記憶から零れ落ちていく。おとろしい・・・実におとろしや・・だ。怠惰であってはいけないなぁと反省している。う~む。

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こないだ、知人から薦められて【超ジャズ入門】中山康樹著を読んだ。この本、評価は賛否両論みたいだけれど、私はこのちょっと硬めのタイトルとは裏腹のふざけたような柔らかな語り口が面白くて、サクサクと最後まで読んでしまった。ジャズに関しては、ド素人の私である上に、さほどジャズに興味を持っていたわけではないので、「なんだ、著者の趣味の押し付けじゃないか」「ジャズの良さや聴き方を解くのではなく、CDの買い方しか書いてないじゃんか」などという批判的気持ちは一切起こらなかった。それどころか、「そーーーーか、そんなにいいのか、マイルス・デイビス。そりゃ聴かねば。」という気分になってしまった。まずは、自分が持っているにも関わらず一回こっきり聴いただけで、棚のずーーーっと奥に眠っていたジョン・コルトレーンやベニー・グッドマン、チャーリー・パーカーをひっぱり出して、久しぶりに聴いてみた。。。。イイ、ほんとイイ、しっくりくる。。。なんで、仕舞い込んでいたのかなぁ。。てか、私も人生ここにきてやっとジャズも解るに至ったのかしら。

ここんとこ、しばらく、これらを繰り返し聴きながら・・・・ウィリアム・トレヴァーの短編集や、ジェフリー・ディーヴァーのミステリを読んで、、、思いにふけっているわけで。

先日、もう何年もハガキのやり取りをしている友人から、マイルスのCDが送られて来た。これはもう・・・・なにげに私もジャズ入門・・だわ。美味しい珈琲をすすり、遅ればせながらのジャズファンをきどってみよう・・かな。

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父の命日

今日は、七年前に亡くなった父の命日。亡くなった年の6月、詩人でもあった父が入っていた同人誌【龍舌蘭】に父の事を寄稿した。今日、読み返してみようと思った。

【父の事】

「情けないことになったな……」亡くなる一ヶ月くらい前に、すでに自分の事も儘ならなくなっていた父が、傍らで世話をしていた私に、ポツリと言った。四年前、アメリカでは911同時多発テロが起きたちょうどその頃、若い時分から浴びるように飲んできた焼酎が原因で、父は大量の吐血下血をし、意識不明で病院に運ばれた。幸いにも九死に一生を得たかたちで、アルコールの禁断症状に苦しみながらも、命を取り留めることが出来た。

それから、亡くなるまで一滴の酒も決して口にせず、医者から決められた薬、インシュリン注射等を毎日時間通りに投与し、それまでの生活とは一変して治療に専念してきた。そんな中でも詩作への意欲を持ち続け、それは唯一、父の生きている証であったようだ。

定年を前に高校の教員を退職した父は、自宅の我が城六畳の和室をほとんど出ることがなかった。酒気が切れれば、庭の草をむしり、なおらぬ雨漏りを憂い修理する為屋根に登る事もあったが、それ以外は来る日も来る日も焼酎を飲み続け、詩作に没頭し気が向くと、金丸桝一先生や黒木淳吉さん、本多寿さん等に電話をして飽くことなく話をしていた。

殊に、金丸先生とは互いに「桝ちゃん」「大(ター)ちゃん」と呼び合うほど、古くからの気の置けない関係だった。龍舌蘭№105、関谷邦広さんの追悼で金丸先生が書かれた詩の中に父の事がある。
『……”関谷さんが亡くなられたんだな” 大森の声は彼の家の屋根の上からのようである おれは最近、屋根にのぼるだけだと呟いていたのを想いだした “ゆっくりでてこいよ” 酒でもくらいながらとはいわぬ 亡くなっても親しいひとは親しいひとだ 追憶のなかで亡きひとの面影をつよめることのできる力が彼にはある 彼はどんな親しいひとの葬儀にもでかけぬ ……』
父はどんなに親しい人の葬儀にも出かけなかった。本人はそれでいいのだろうが、家の者としては皆さんにどんなに非礼をしていることだろうと気が気ではなかった。しかし、親しい人が亡くなるたび、多い酒をいつも以上にあおり、ひとり我が城の寝床の上で涙しているのを知るにつけ、それが父の悼みかたなのだと納得せざるを得なかった。そしてそれは、あれほどまでに大切に想っていた金丸先生の訃報の時も変えることがなかった。

それなのに、この度、父の葬儀には、たくさんの方々に参列していただき、母も私もありがたく、感謝のきもちで胸の張り裂ける思いだった。「自宅で逝きたい…」それが父の願いだった。四年前の退院後、自宅で治療しながらも、穏やかに生きていた父だったが、今年1月に風邪をこじらせてからは自力で立つことも、言葉を話すことも出来なくなった。神経質な程、身の回りの整理整頓をし、潔癖だった父だから、どんなにかもどかしく苦しかったことだろう。

後には点滴をすることも、酸素吸入することも拒み、生きることを諦め、ただ死を待っているかに見えた。亡くなる前の日、「もうすぐ、夕食よ」と言ったら、「おぉ」と笑った顔が忘れられない。

いつも「わが身になって物事を考えろ」というのが口癖だった。母には、飲酒のために散々苦労をかけたが、思いやりを持った優しい父だったと思う。最後は母と私が見守る中で、六畳の我が城の我が寝床で静かに息を引き取った。亡くなってから、生前描いた絵画やメモ、書きかけの詩を見ていると、今頃、大好きな桝ちゃんと大好きな焼酎を飲み交わしながら、詩や黒澤明の映画や文学について思う存分語り合っているように思える。

お父さん、ありがとう。                      

2005年6月26日     長女 ●●久子

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【粛清】ソフィ・オクサネン著

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エストニアってどこだっけ・・・と思ったのが最初。本書をめくるとすぐにその地図がある。東はロシア、西はバルト湾に面した小さな国。1940年にソビエト連邦の占領下にあり1941年から1944年までナチスドイツに占領されていた。そのエストニアが舞台で、書名が【粛清】・・・とくれば、それだけでなんだか胸がぞわぞわっとしてくる。

エストニアの小さな村ラーネマーに独り暮す老女アリーダ・トゥルー。ある朝、家の庭に見知らぬ若い女性が倒れているのを見つけた。ソビエト統治時代に自分のとった行動によって、近隣から嫌がらせを受け続けているアリーダは、警戒しながらも女性を自分の家へと招き入れる。その女性はエストニア語を話すロシア人でザラという名前だった。

ヨーロッパ北東部独特のどんよりと重たい空気感。そして、アリーダの家の中から漂う様々な臭い、ソーセージに産み付けられたハエの卵、腐って酸っぱい味・・・・。これから始まる物語のただならぬ雰囲気がじわじわと湧き上がってくる。ザラはどこからやってきて、なぜそこに倒れていたのか。物語は、過去と現在を行きつ戻りつしながら、次第にアリーダとザラの意外な関係を明らかにしていく。

ソビエトとドイツの間で、過酷な立場に立たされた小さな国。歴史は、混沌としていてその渦に巻き込まれながらも生き抜いた女性の姿が逞しくも痛々しい。嫉妬心に苛まれ、想像を絶するような苦しみを胸中に秘めながらも決して諦めなかった女の強さ。邪魔者を排除していく執念。歪んだ理性。あるいは、将来を夢見て旅立った女を地獄へと貶める罠。読んでいて鬼気迫るものがあった。

没頭して読んでいる間は、灰色の世界に息も止まりそうな気分になる。本を閉じると同時ににほっとして生き返った感じがした。次は、少し心に優しい本を読んで元気を取り戻そう・・・と思う。((笑))

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著者のソフィ・オクサネンは、1977年生まれのフィンランド人作家。その化粧とビジュアルから、‘北欧の文学的レディー・ガガ‘と評されているそうだ。バイセクシャルであることや、かつて重い摂食障害を患ったことがあるとも公表している。コレをきっかけに他の著書も読んでみたいと思った。

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【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】映画

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ものすごくいっぱいの喪失という空洞を、数え切れないほどの勇気と愛で埋めていくような感じ。。とても切なく繊細で細やかな物語だった。たまらず涙が零れた。

9.11事件で大好きな父親(トム・ハンクス)が生命の危機に直面しているその時、オスカー(トーマス・ホーン)は、小学校からいつものように何も知らずに家に帰ろうと歩いていた。家に帰り着き、ヨーグルトを口に運びながら聞いた留守電から、父の声が聞こえる。。。1回目、2回目、3回目・・・そして・・。それが最期に聞いた父の声。観ている私も息が出来ない気持ちになる。

空っぽの棺おけで執り行われる葬儀。オスカーは、一年が経っても父の死を受け入れることが出来ない。。いろんな思いが少年の精神を圧迫して苦しめる。ある日、父のクローゼットで封筒に入った一本の鍵を見つける。オスカーは、この鍵にきっと父からのメッセージがこめられていると信じ、封筒に書かれた゛ブラック゛という人物を探し始める。。。

「もし太陽が爆発消滅したら、その光が地球に届くまでは8分間。それまでの間、僕たちは何も知らずにあたりまえに過ごすんだ。。」、父の身に起きた不条理な死、それを知らずにいられる゛光が届くまでの8分間゛をもっとずっと続けていたい。その思いが、少年の前に立ちはだかる困難に向かわせる。タンバリンの音を伴いながら。そんな少年の感情のうねりを、トーマス君はこれが初の演技とは思えない上手さで表現してみせる。オスカーの抱える難しく複雑な問題を違和感なく自然体で演じ切り、ほんとうにすばらしかった。母親役のサンドラ・ブロックも、夫を亡くした悲しみと遠ざかっていく息子に困惑し苦しむ姿を好演。トムは言わずもがな・・・。そして、祖母宅で間借り人のおじいさん(マックス・フォン・シドー)がすごく良い。この人は、過去に辛いことがあり喋る事をやめてしまい、話は筆談と両手に書かれたyesとno。ふたりの抱える喪失感は切れない絆で結ばれている。その真実が絶妙のタイミングで明かされる。

話の中の細かなディテールには、温かい気持ちにさせられることもたくさんあった。

少年に纏わり付く父の思い出、映像、言葉・・・゛ものすごくうるさくて、ありえないほど近い゛。けれど、「悲しみはいつか必ず乗り越えられる」・・・それが、一番大切なメッセージ。

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映画【ラビット・ホール】

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失ったものはどんなものにも変え難く喪失感は容易には埋められない。もがきながら癒されていく過程はそれぞれに違っていても悲しみの根源が繋がっていれば、やがてお互いは自然に寄り添い溶け合っていく。二コールとアーロンの繊細な演技が素晴らしかった。

四歳の息子を交通事故で亡くしたベッカ(ニコール・キッドマン)とハウイー(アーロン・エッカー)夫妻。8ヵ月が過ぎても、ふたりの悲しみは癒えない。夫は、息子の在りし日の動画や思い出の品々と共に未来を生きようとする。妻は、全てを捨て去り、喪失感と対峙しながら息子の不在を受け入れようと苦悶する。

大きな起伏があるわけではない流れの中で、ベッカの複雑な深層心理を自然体でリアルに演じるニコールは秀逸だった。グループ・セラピーへの参加を拒絶し、神などに寄りかからず、同情や腫れ物にさわるような労わりに反発すベッカ。悲しみは自力で乗り越えるしかない・・・・そんな毅然とした姿にへたな感情は押しやられてしまう。このベッカを観ていると【ムーンライト・マイル】の娘をなくした母親スーザン・サランドンを思い出す。彼女も決して手軽な同情を受け入れることはなかった。。。

そんなベッカが、ある日偶然に出会ってしまう同じ悲しみを共有する青年。彼が優しく話しかける言葉によって彼女は少しずつ前に進むことへの僅かな希望を持つ。パラレルワールドの法則は、カチカチに萎縮した彼女の心をゆっくりと解きほぐしやがて、頑なに拒んでいた彼女に関わるもの達、夫、母親、妹、親友に自分から進み寄ることが出来るようになっていく。

夫のハウイーの気持ちも切ない。本来ならば、その喪失感、痛み、を分かち合えるはずの妻との溝が深まり、理解できない苦しさ。間違って動画を消された時、リードを引っ張って言うことを聞かない犬、ぐっと押さえていた感情がどっと爆発するシーンは感情を揺さぶられる。

ありふれたテーマを今までに観たことのないような新鮮で高質のヒューマンドラマに仕上げていて、嘘のない見応えのある作品だったと思う。

【ドラゴンタトゥーの女】【50/50 フィフティ・フィフティ】【宇宙人ポール】【カンパニーメン】【J エドガー】は、また今度。

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【忘れられた花園】上下巻 ケイト・モートン著

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うはぁ・・・・・、いやはやです。こんなに没頭して物語に浸りきり読書したのは久しぶりです。面白かったー。下巻の最終章を読み終えるのが寂しくて、終わりたくなかった。

物語は、現代と19世紀末のイギリス、オーストラリアを舞台に、百年の時を行きつ戻りつしながら綴られる壮大なサスペンスドラマ。

1913年、ロンドンからオーストラリアの港に着いた船。その中に、身元の分からない四歳の少女が小さな白いトランクと共に残されていた。自分の名前すら記憶にない少女を、波止場勤めの男が引き取り、ネルと名づけて夫婦の子として育てた。そして、ネルが21歳の誕生日パーティーで父は彼女が本当の子どもではないことを告げる。その真実に、ネルは自分のいままでの人生が崩れ落ちるほどの虚無感と衝撃をうける。その日からネルの自分探しの長い旅路が始まるのだった。自分はいったい誰なのか・・・・。

2005年、年老いたネルは孫娘カサンドラに看取られながら息を引き取る。カサンドラに遺されたものは、遠くイギリスにある古びたコテージと小さなトランク、お伽噺の本一冊。それに添えられた一枚の走り書き『これをカサンドラに遺贈する。いずれその意図を理解してくれることを願って』。

複雑に絡まり合った謎と秘密。”ネル”とはいったい誰だったのか?三人の女性を中心に、それぞれが生きた時代を克明に描き出していく。やがて時代を越えて連鎖する事実が謎を解き明かしていき・・・・。話が進むほどに気持ちがはやり、ページをめくる手ももどかしい。

豪壮な佇まいの屋敷、荒涼とした冬、崖を吹き渡る風、鬱蒼とした茨の迷路、ゴシックロマン風の叙情豊かな文章にうっとり。その中で繰り広げられる想像を超えた幾重もの秘密と謎。これがワクワクせずにいられようかって感じなのです。

現代を生きるカサンドラが、存命の証人を訪ねながら真実に近づいていくのだけれど、【サラの鍵】のジュリアに感じたむりやり過去を穿り返すような違和感は全くない。それは、「過去と未来」を繋ぐカサンドラ自身の家族の話だという点と、彼女は現代を生きる人間であり、百年の時の隔たりの中で知り得る事には限界があり全ての謎が解き明かされるわけではなく完結するからだと思う。。けれど、読者としての私たちは物語りを俯瞰して読むことができるので、あますことなく真実を知る事ができるという構成になっているから、読後には大きな満足感を得られる。

現実を忘れて、別世界へと誘われ過ごした時間・・・・・至福の時だった。

読み終えて、本を閉じたら非常に寂しい・・・・・。

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本【サラの鍵】タチアナ・ド・ロネ著 

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一冊の本を読むのに結構時間のかかる私が、いつになく没頭してあっという間に読了してしまった。それほど、衝撃的で心揺さぶられる物語。

1942年7月のパリ。ナチスの占領下にあるその町で、フランス警察はユダヤ人を一斉検挙した。その数、13000人以上。10歳の少女サラは連行される直前に、おびえる幼い弟ミシェルを納戸の中に隠し鍵をかける。「あとでもどってきて、開けてあげるからね。絶対に」の言葉を残して。けれど、凄惨な運命はそれを許さなかった。この緊迫した場面からのプロローグは一瞬にして私を物語の中に引き込み、刻々と襲い掛かる恐怖に動悸が抑えられないほどだった。サラと共に弟の身を案じ胸が苦しくなる。

その60年後、ジャーナリストのジュリアはこのユダヤ人迫害事件を取材する中で、身内につながる数奇であまりにも惨い重大な秘密に突き当たる。それは、彼女のそれからの人生を大きく変えてしまう事になる。

物語は、少女が辿る非道極まりなく惨酷で痛ましい真実と、ジュリアの生きる現代とを細かく交錯させながら進み、やがて時を越えて重なり合う。。。

全てを書くとネタバレになるので詳しく触れることは出来ないけれど、ユダヤ人虐殺のくだりは、やはり胸が締め付けられるような辛さを感じる。畜生にも劣る過酷なあつかいを受ける収容所の中の人々。その収容所を囲む有刺鉄線の外側では、穏やかで牧歌的な営みがあたりまえのように存在する異様な理不尽さ。想像するとぞっとする。その地獄から、サラを脱出させる原動力となったものは、自分を信じて待つ弟がいるということ。ポケットの中の「鍵」が少女を生へと駆り立てたのだと思う。そして、その鍵こそが弟と繋がる唯一つの「実在するもの」となっていった。

ただ、サラの目的が完結した中ほどから物語後半にかけて、ジュリアが執拗に個人的な事件を明らかにしていこうとする部分は、読んでいて共感しづらいものも感じた。それとも、サラの意思の尊重というものは別の問題と考えた方がいいのだろうか・・・・疑問だ。様々な人の人生を一変させるほどの権利がジュリアにあるのかどうか、、、「皆があなたのことをずっと忘れないでいたことを伝えたい」という理由が、少し心に引っかかる。ナチスに加担したフランス人としての贖罪なのか、個人の目線での「あなたのことを皆が心配し思いやっていた」あるいは「罪の意識を感じていた」ということなのか。。。サラにとってそんなことは何の意味もなさないのではないかと思える。史実全体を糾弾する、そして忘却してはならないという事と少女が頑なに口を閉ざして守り通した秘密とは、扱い方が同じであってはならないと私には思えてならない。

けれど、物語の終わりを穏やかに迎えるところで、、、やはり、それは必要なことだったのかなぁとも考えてしまう。夫の望まない子どもを宿したジュリアの人生を決定付ける話としては、あの行動が必要なのか。。私の中で答えは出せないままだ。サラの手紙の最後の2行にとても深い深い様々な思いが集約されている気がする。『覚えていて。決して忘れないで』

読了後は頭の芯がわずかにしびれるような感じが残った。映画の方は4月にキネマ館で公開予定らしい。。。なんだか気が重いけれど、観てみようかと思う。

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